誰かを嫌いな理由を並べてみると、自分の嫌いな部分でもある。同族嫌悪というよりも、自分にある嫌いな部分を見ているか嫌な気分になります。
嫌いなものがあれば、好きなものもある。そこで別のものに分けてしまうと精神衛生上はとてもいい。
あえて分けずに、嫌いなものがどうだったら理想なのかを考えてみます。ここのポイントは、嫌いな人を入れ替えずに、相手がどんな人物だったら理想なのかを考えること。別に容姿や性別も変えてかまいません。
- 何かをキライだ、クソだと思う理由を並べてる。
- じゃあどんなのが理想なのか想像する。
- 薄っぺらい想像しかできずに自分がクソだと感じる。
ここまでワンセット。想像が薄っぺらくなかったなら、想像できたらクリエイティブなことに向いているかも。もしくは目標が定まっている立派な人。これで言うなら目標が定まっている人が理想なのかな。
それはさておき、薄っぺらい想像しかできないのは自分の芯が無いから。自分自身に理想がないから、後から後から否定ばかりが出てきます。いい年した大人がするような考えではない。還暦迎えてもそんな人は世の中に沢山いますけどね。
自分自身が特別変なわけではないのは当たり前。そこで動きがとれないならば、そのクソ以下の何か。